辛いって、思うと余計に辛くなるよね
50年も生きていれば、そりゃあね
周囲の色んな人が、色んな所へ旅立って行ったり
信じるってどういう事?って思ったり
自分って必要なの?って悩んだり
お金がなーーーい!!って頭抱えたり
まぁまぁ色んな経験をしましたね。はい。
そういう時に「なんで自分だけ」って思うと孤独になるけれど
「自分だけじゃないんだ」って思うと、なんとなく気持ちが分散されるというか
例えば子供の頃、友達複数と鬼ごっこをしていて、転んで怪我をしたとする
自分一人が怪我をすると泣いたり気持ちが落ち込んだりしちゃうけれど、他の誰かも転んでたりすると、ケラケラ笑いあったり相手の心配をする気持ちの余裕があったり
そんなもんなんじゃないかな、と思う
すごい人はほんとスゴイ
かの有名な声優さん「野沢雅子」さんの逸話
あの方は一つの作品で複数のキャラクターを兼任されたり、めちゃくちゃハードなお仕事をされています
ある時、収録が凄くハードで参加されていたみなさんが疲れ切っていた時、ある人が野沢さんに「野沢さんが疲れたって言うのを聞いた事がないですね」と声をかけたら、「そうね、疲れたって思った事がないかも」と返されたという話があります
気の持ちようってレベルでもないのかもしれませんが、やっぱり、そう思うかどうかで気持ちのプラスマイナスって変わるものだと思います
泣くよりは笑って過ごす
自分はあれこれシンドイ事があった時、泣いても事態は変わらないと思っています
泣くと結構エネルギー消耗するし、泣いてる時ってマイナス思考にしかならないし、所詮泣いていられる時間なんて10分かそこらで、あとはなにかしらの行動を起こすしかないわけだしw
若い頃しょっちゅうメソメソグダグダしていた友人がいましたが、何度も悩み相談的なメールや電話にウンザリして何人かの知人を失っていました
本人は薄情だと彼らを責めますが、周りからすれば自業自得という見解になります
悩むな相談するなとは言わないけれど、他力本願になってはいけないですよね
泣いても損しかないなら、笑っとこうか
無理に笑って繕う必要はないけれど、笑えないくらいシンドイ時は友人には会わないようにしています 忙しいって便利な言葉よね
辛い話は、辛いときには人に話さないようにしています
笑って話せるようになってから、話題の引き出しに入れるようにしています
去年の開腹手術も、まだ友人には話していません
あえて話す必要も無いし、そういう伏線にもならないし
自分の中のネガティブを周囲の人には触らせない事で、周りからエネルギーを貰えている気がします
「辛い」というと周囲の空気もネガティブになりますよね
「大丈夫?」と心配されたり、明るい話題に切り替えにくくなったり
損しかない。だから、飄々と笑っている方が、自分も楽になれる
それで自分が元気になれるんだから、笑って過ごした方が良いよねって思います